思いやりって難しいね。

 出勤。リハ室に着くと、すぐに課長が朝の打ち合わせにやってくる。妙に焦っている。何かあったの!?


 毎週同じ時間に言語訓練が入っているメンバーと、空き時間にみるべきPt.を告げられる。これはいつも通りのこと。そのクチが重いのが気になった。


 よくよく聞いてみると、私の居ない水曜日、看護・介護のスタッフが施設長Dr.から大激怒をもらったそうだ。もちろん、私の業務もかぶっている対象者の事なので、課長も言いにくそう。結局、以前から指摘されている指示系統を無視した暴走行為に喝を入れたということ、それと、専門職を無視した暴走についての戒めだった、ということが分かった。


 勤務先のスタッフは、思いやりも熱意もたっぷりで、とても真っ直ぐに仕事をしている人たちだ。正直いって、良いスタッフに恵まれている。それは分かっている。でも、その思いやりが、その人にとって最も重要な事なのかどうか、が抜けている。そして、医療・福祉の立場で考えた時に、優先順位をつけるべき場所も判断から抜けている。押し付けに似た『思いやり』によって、不適格な判断をしているのだ。


 組織というやつは難しい。真っ直ぐ上下関係の縦系列が固まってしまうと、現場の声が上には聞こえず、その重要なサインを見落としてしまう。でも、家族的な親密度の高い組織=横一線の組織は組織自体が崩壊しているように思う。何のために細分化して、担当する職務があるのか。その意義が無くなってしまうと思う。それは、その時点で組織ではなく、個々の人間の集団としかいえない。何の意味もない、素人集団。それは、サービスを受ける利用者の不利益そのものになってしまう。


 具体的に何が起こったのか。それは、以前から私が愚痴っていること。


 通常、嚥下に関する評価依頼は、Dr.からリハ課、そしてSTに下ろされる。もちろん、Dr.が現場の声と診断とを併せて、必要性を認めた時に依頼が出る。それが、直前に「今見て!」とSTに直接依頼が出る。その事自体はそんなに問題が大きいとはいえないが、その結果、Dr.の知らない水面下での勝手な行動が助長される。それは、Dr.だけに留まらず、STの評価結果を無視した暴走行為にまで発展してしまう。


 もともと、STリハの充実していなかったこの職場は、介護・看護主体の判断で様々な事が行われてきたらしく、その熱意と行動力はかなりのものだ。しかし、知識が伴わない。ヒトの生死を扱う領域にとって、知識不足は罪になる。その意識がまるでない。根拠のない判断基準をルーティーンに使いまわすことで、暴走が絶えない。


 『まだ、このレベルには達していないので、この方にはしないで下さい』と初めに言っておいても、当たり前のように無視して行動する。それを『思いやり』と履き違えて。


1 ご飯を口から食べられないのは可哀そう
   ⇒ だから、食べさせちゃえ!

2 ヒトは1日3食、食べなくてはならない。1回だけなんて可哀そう。
   ⇒ だから、食べさせちゃえ!

3 こんな形態の食事じゃ食事といえない。可哀そう。
   ⇒ だから、おやつくらいはコレ食べさせちゃえ!
   ⇒ 食形態をアップして食べさせちゃえ!

 すべて意味があって処方されているもの。それを勝手な判断で変えてしまうと、その人の体のレベルに合わないので、不都合が生じてくる。リスク管理の問題だ。それは、利用者の体調が悪化することに繋がるということ。


 専門職の役割分担と信頼関係。指示系統と流れの確立。少し難しい作業かもしれないし、時間がかかる作業だと思う。でも、熱意があるスタッフだからこそ、流れを理解してもらえれば、改善していくのではないかと思う。


 今日、職場に行ったら、以前からフォローしている特養の入所者が肺炎で入院したことを聞いた。理由は、上記の事と通じる。頭が痛い。


 これも悪い夢だと思いたい。