何故依頼を出すのか。

 こんな事でカチンと来るな!って言われちゃうんだろうけど、カチンときちゃうんだなぁ。なんて思いやりが無い人だろうって思っちゃう。むぅぅ。


 てんてこまいな午前中を終えて、待望の昼休み。新患さんの摂食・嚥下評価で昼休み少ないんだけどね、食べるだけなら十分!って思って一息つこうとしてたのに、一気に食欲なくなっちゃったょ。


 ある通所者の方(重度混合型失語症)に、試験的に宿題を出してみたんだけど、奥様が「宿題は家でやらないので、いらないです」って言いにきたらしい。負担が大きいのは良くないので、それは問題なく「やめておきましょう」って言えるんだけど、それを伝えに来た通所のスタッフのモノ言いが最悪。具体的に、どんな風に負担なのかを伺いたくて聞いてみたんだけど、それには触れずに何度も「宿題はやめろ」としか言わない。そのうえ「どうせリハビリしたって良くならないし」みたいに言うんだよ。最悪。更に「言葉なんて聞いたこと無いから必要ない」みたいな言い方。「○○さんは失語症だけど、言える」とかなんとか。確かに「こんにちは」や「ありがとう」のような慣用句さえ言えないけど、それは重症度がかなり重いから言えないんだよ。いくら口数の少ない人だって日常の挨拶はしてきたと思う。こんな地域だし、何年もキチンとリハビリしてないから言えないし、言うことだって諦めて生活してきたのだと思う。相手に些細な事も伝えられなくて、周囲の言葉も単語レベルでさえ理解が難しいのに、辛くないはずがない。「訓練なんて意味がない」って思っているんだったら、何故、依頼箋を出すのか。


 ここ2回ほどの自宅学習で、聴理解可能な単語が2倍になった。発症から4年経過している今、それは飛躍的な数字。だけど、負担になる場合は中止するのは当然のこと。それは私にとっても当然なことなんだけど、頑張った成果が出ていることを見もしないで「どうせ良くならない」っていうのはどうなんだ?何様なんだーーー!とか思ってしまう。・・・言わないけど。


 もやもやしたまま帰宅して、店に居たらR子先生から予約の電話が。イライラが聞こえちゃったかな?と思ったけどそんなはずはなく。


 先生、えらく疲れていたよ。体中の筋肉が棒の様にカチカチ。マッサージしながらだいぶ話して行かれたけど、良い方なだけに一生懸命に心を砕いているのが分かる。『職員の思いやりの無さとR子先生の情の深さ』っていう、二つの正反対な心を感じて、胸が痛い。